Photo HATRIX Gallery Gallery 2010

101211 自宅屋上

空もようというか、雲もようの動きを数分間見ていると、脳が活動している様を遅回ししているように錯覚する。MRIによる脳画像を考えると、さながら脳=地球を連想し、ひいては宇宙に浮かぶ巨大な脳を想像してしまう。からっと晴れた空に、じわじわ雲が広がっていき、黒雲と灰雲、太陽光線が微妙に変化し続ける。空に脳のマップを照らし合わせると、正面の位置を前頭葉、左右は側頭葉、後ろは後頭葉と考える。雲が脳内で飛びかっている信号だと空想すると、正面に見える雲の狭間にまばゆい光線が輝き、あたかも前頭連合野が活発に活動しているように夢想できる。額の奥にある前頭連合野は、他の連合野からの情報をもとに、思考や創造、喜怒哀楽などをつかさどるもっとも大事な部分だ。こんなことを何時間も考えたいと思ったが、しかし、雨が降ってきたのでそうそうに退散した。


※ 自宅屋上 動画 

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101121 秋葉区 中野邸

去年見に来た中野邸の紅葉は、ばらばらに散ってゆく異常な光景を記した。今年は紅葉は遅かったせいもあるが、去年とにているしっくりこない状態に陥っており、散策していると何だか憂鬱な気分になる。そしてまず、新潟コシヒカリの1等米比率が過去最低の下げ幅になってしまったことを思い出す。毎年8割以上のランクをキープしていたが、突然2割切ったことにより農家の経営は圧迫された。全国の平均は9割なのになぜなんだろう。そしてもうひとつ、この石油王・中野邸のことも思い出した。石油井戸の稼働は1804年から続いていたが、数年前に産出量が少なくなったことにより閉抗に余儀なくされた。新潟で無くてはならない紅葉・米・石油などが枯渇する様を並列に記したが、来年にでも何か良い知らせがあれば幸いだと感じている。


※ 中野邸
※ 中野邸 動画

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101119 五泉

五泉では稲穂はもちろん、あざやかな花々が咲きほこり、絹織物から派生したニット製品など、ふところの深さがある町だ。水路が数多く入り組むのがわかり、さながら血液を循環しているような錯覚におちいってしまう。元々上杉氏の家臣が城塞を築き、城下町として繁栄したそうだが、なるほど歴史を物語る風景を見ると、そこはかとなく風土の流れが伝わる気がする。次は阿賀野川の船下りで楽しむか、愛宕山で軽登山をするか、どちらにしてもこれからは計画的に考えて実行しようと思う・・・。


※ 五泉
※ 五泉 動画

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101117 佐潟

五泉では稲穂はもちろん、あざやかな花々が咲きほこり、絹織物から派生したニット製品など、ふところの深さがある町だ。水路が数多く入り組むのがわかり、さながら血液を循環しているような錯覚におちいってしまう。元々上杉氏の家臣が城塞を築き、城下町として繁栄したそうだが、なるほど歴史を物語る風景を見ると、そこはかとなく風土の流れが伝わる気がする。次は阿賀野川の船下りで楽しむか、愛宕山で軽登山をするか、どちらにしてもこれからは計画的に考えて実行しようと思う・・・。


※ 佐潟
※ 佐潟 動画

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101113 加茂山

前回、はじめて加茂市に来たときには加茂山公園の正面から堂々と訪れたのだが、今回は墓石が並ぶ裏登山口から登ってみた。加茂山の標高は低めの200m程度だと知っていたが、標高の割に勾配が急になっていたことは聞いていなかった・・・獣道に落ち葉が重なりあい歩きづらく、地元しか通らないそんなルートかもしれず、またもや汗が吹き出してしまった。しかし、巨木杉がそびえ立つ光景が目に入ったとき、この加茂山の古い歴史の記憶が詰まっているような気分になった。このときには汗のことなど忘れて、巨木を辿りながらたんねんに眺めていった。その後頂上にたどり着き、加茂山ハイキングのルートを見つけ、下界の門前町の香りが立ちこめる加茂山公園に降りたっていた。ここは新潟紅葉ランキングの5位に位置するが、この日7分程度なのに逆に新鮮な感じを味わった。濃厚な杉とさわやかな紅葉、どちらも満足できた日だった。


※ 加茂山
※ 加茂山 動画

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101107 鳥屋野潟

鳥屋野潟に最後に出向いたのは今年の四月二十四日、何と半年にもなってしまった。今年の桜は満開とは少し違い、点々と咲いて散ったことを思い出した。現在はまだ紅葉していない時期なので、モミジはもう少し後だが、去年からの異常気象を考えると、どうなるのか分からない気分がある。しかし、落葉樹の葉っぱが舞い散る様を眺めると、とてもうれしい気持ちになり、この後の紅葉や冬の積雪などを楽しみにしはじめる。ほどちかい鳥屋野潟は、ほっとする時間を大切にし、明日への活力を養える絶好な場所だと確信している。ちなみに最後に撮影した日没は、鳥屋野潟から新潟駅についたときのシーンだ。後10分程度待っていれば、また違う風景があったはずだと少し後悔した。


※ 鳥屋野潟
※ 鳥屋野潟 動画

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101106 弥彦山

このところ雨と風が吹きまくっていたが、気象予報では今日の午後から天気になるそうなので出かけることにした。取りあえず弥彦山は遠足など小学生でも登れる山だと聞いていたので、登山の初心者としてはこれくらいなら大丈夫だし、634mだから平気だと考えた。役場に電話して、初心者でも大丈夫かと確認したら「1時間で登れる軽登山」だと言われてもいたし。気軽な気持ちで登山口から山登りを楽しもうと思ったやさき、道の角度がますます急になり、ごつごつした岩を伝ったり、さらに雨水にぬかるんで歩くのが大変で、五分もたたずに汗が噴き出してきた。この後の奮戦は書きたくないので終わりにするが、頂上で登山愛好家の3人の家族と知り合いになり、一緒に下山しながらいろいろ教えてもらったのがうれしかった。帰りの電車では、遠ざかる弥彦山を見ながら、どこかでまた会えたら良いなと思った。


※ 弥彦
※ 弥彦 動画

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101103 寺尾海岸

実家から歩いて10分程度の海岸では、ひさしぶりに波が舞っていて、すごい迫力だった。実は、自然音源を録音するために出かけて来たのだが、海の強い風が耳の中まで入って来て、録音しても無理だと思って退散しようと思った。しかし、突堤にぶつかる波を見ていたら、どうしてもビデオで撮影したくなった。三脚を立てても強い風圧に負けてしまったが、手と足で踏ん張りながら数分間耐えていたとき、しぶきが舞う砂浜の意外性や、太陽の光線が暗闇に溶けるような異次元空間を感じた。撮影した動画では、荒い音源や傾げる臨場感も相まって、それなりにぞぞっとする光景を再度垣間見た。


※ 寺尾海岸
※ 寺尾海岸 動画

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101010 フォトグラフィー&クラッシックピアノ

2010年10月10日(101010)、久しぶりに3回目の「フォトグラフィー&クラッシックピアノ」を催した。ピアノ演奏で幻想的な音楽を楽しみながら、新潟の風景を眺めつつ、すてきな空間を共有することができたと確信している。今回のコラボレーションでは、今までの静止画に動画を加えてチャレンジしたが、次へのステップでは、さらなる新境地を目指している。

<日時>
平成22年10月10日 日曜日(無料)
開場 13:30
○ 一部/動画写真+ピアノ演奏 14:00〜14:45
・ ドビュッシー 前奏曲集 第1集など
○ 二部/動画写真展 15:00〜16:00

※ フォトグラフィー&クラッシックピアノのご報告

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100828 小針海岸

夏休み最後の土曜日・・・子供のときに思っていたことを思い出した。日曜日の前の日は、もう終わってしまうさみしさが、最大限に反映されてしまい、夏休みの楽しかったことが、逆に遠い昔の物語になってしまって悲しかった。今の私のこころ模様はどうなのだろう・・・おそらく8月が終わる狭間の数日間、9月への期待と8月の懺悔が均衡していることにより、宙ぶらりんになっているのかもしれない。今日、久しぶりに海水浴に行ってビールを飲みながら考えたが、小学生のときの夏休み最後のさみしさが、今でもしっかり記憶の奥底に漂っていることを確認できた。夕日をぼんやりながめていると、なつかしさなのか、波の風が甘く聞こえた。

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100808 にいがた花火大会

今日、約10,000発以上の花火が打ち上げられた。花火の少し前、数十万人の観客がわれ先にと川岸の桟敷を探していたが、もちろんビール缶とつまみを持って走っている人も多かった。今まで私は花火大会の雰囲気を味わいたかったので、少し離れて見物するのが良いと思っていた。今回はじめて打ち上げ場所のすぐそばで花火を見みたら、大迫力と繊細さが同時に楽しめることが分かった。そして一番良かったのは、花火を見るみんなの心が夜の空で舞っていたように思え、何も話さないのに一体感のみで伝わる波動を感じることができた。毎年来る人々は、もしかしてこの一体感を味わう楽しさを知っているのかもしれない。私も癖になりそうだ。


※ にいがた花火大会
※ にいがた花火大会 動画

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100801 佐渡原生林ツアー

佐渡島は近くの砂浜に行けばいつでも見えているが、夕日を撮影しているときには、逆に遠い国のような気がしていた。今回、たまたま市報に佐渡原生林ツアー募集が掲載されていたので、何気なく応募したら行けるようになった・・・ビュー福島潟主催で写真家・天野尚さんと一緒にトレッキングし、巨大杉原生林の幻想的な風景を満喫できた。屋久島、立山、そして佐渡は日本3大杉原生林と呼ばれ、手つかずのこのエリアで撮影できたのは、私にとってすばらしい奇跡だったと思う。何世紀も生きてきた巨大杉たちは、直径2メートルを超えるものが多く、風雪に耐えた軌跡を物語るストーリーを感じた気がする。「美しい生態系を後世に」を徳とする天野さんは、佐渡を根城に写真冒険家として活躍している。天野さんとビュー福島潟の方々には、ほんとうにありがとうございます。


※ 佐渡原生林ツアー (1)
※ 佐渡原生林ツアー (2)
※ 佐渡原生林 動画

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100722 三条

職人の町燕、商人の町三条と江戸時代から称されてきたが、現代では県下有数の工業都市として栄えている。商人の町・三条として盛んだったときには、クライアントを接待する儀式が行われ、寺が多いエリアでは割烹と舞子が確固たる地位を築いた。私の母が村上の寺町で育ったので、私が子供のころに墓参りに行ったときには、近くから聞こえる三味線の音を楽しみにしていた・・・三条の寺町では今どうなのか。寺の参道にぎっしり渦めくスナックやバーを見たとき、しーんとしている夕方だからかもしれないが、とても不気味な気分を味わってしまった。


※ 三条
※ 三条 動画

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100720 寺尾の松林

寺尾の松林では、今まで春になって植物の若葉が育ったころに撮影していたが、今回はなぜか猛暑の日に行こうと決めてしまっていた。家から程近いエリアなので簡単に撮影できると思っていた。松林を散策できる道は太陽が陰って、久しぶりに新鮮な気がした。学生が数人でジョギングしたり、老夫婦が犬の散歩を楽しんでいた。ここに来るときには、散歩コースを外れて砂丘から海岸まで直線に行けるルートを好んでいた。もちろん今回もそうした・・・だが、春に見ていたときには、かわいい植物だったはずなのに、何と私の背よりも高い茎になってしまっていた。何千本もあるブッシュに突入してしまった関係上、後には引き返せない状態になってしまい、三脚を折りたたんで歩くところをかき分けて前進した。松林を出て砂丘にでるまで数十メートルしかないのに、真上に太陽が顔出してぎんぎん鳴いていたような気が遠くなる数分間だった。

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100701 蒲原まつり

職人の町燕、蒲原神社は広大な蒲原平野のなかで最も盛んなエリア=長峰町(旧・蒲原町)に位置している。東区の津島屋や山の下、中央区の紫竹山、女池、天野などに広がる47神社は、蒲原神社の宮司が兼務している。つまり各神社の夏まつりが始まると、蒲原神社の宮司が出向き、神様に奉納する儀式を執り行う。現在、繁忙期に突入している宮司なのだが、実は私の同期生で友達なのだ。お父さんは第16代目、息子は第17代目として一緒に兼務し活躍している。少し前に久々に酒を飲んだとき、私が蒲原神社について取材しても良いかと尋ねると、こころよく承諾してくれた。各神社の夏まつりが終わってから、神社の由来や地域に根付く歴史、さらに神道についての講義を賜れば幸いだと思っている。少し前に考えた「三種の神器の鏡」ついても説明してもらいたい。今日、予備知識のために出向いて撮影を試みた。参拝しにきた地域の人々が、こんなに「晴」を感じる朗らかな表情をしているのは、私にとってはじめての経験だった。


※ 蒲原まつり
※ 蒲原まつり 動画

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100601 マリンピア日本海

この水族館には数年に一回訪れ、気に入った水層で写真を撮っていた。今回もクラゲをメインに撮影し、終わったらレストランでカレーを食べる行事を執り行った。と、更新が遅くなってしまったので焦って書き始めたそのとき、6月18日夜NHKニュースで大変な事件が報じられた。『マリンピア日本海の大水層で回遊していた36種7000匹が死亡。水槽を消毒するときに誤って次亜塩素酸ナトリウム製剤を使用したため』とアナウンスされた。この大水層では新潟近海に見られる魚を展示していて、小魚はもちろん、サメやエイなどの大魚もたくさん泳いでいた。魚が生活できる暗さを保っていて、逆に写真を撮るには暗く、不気味な感じすらあった。しかし死亡した7000匹の魚にはしばし黙祷する。


※ 水族館
※ 水族館 動画

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100522 北方文化博物館

江戸中期からの豪農の館邸だったここには、樹齢150年も生きている一本の大木・藤があり、大藤棚では縦横に張り巡らせた枝から咲き誇る藤花が見える。今日はライトアップし始めてから入館したが、大きな中庭を埋め尽くす生きよいと、紫が淡く光り輝いていた。実を言うと、藤が咲いているときだけ五時半から入場無料になっていたので、今日は多くの人々が中庭で鑑賞していた。ほとんどの人は気軽に携帯やカメラで写真を撮っているが、この小さな中庭に100個以上もの肖像権が存在していると考えると、ぞっとした寒気を感じてしまった。

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100517 寺尾海岸

今日は久しぶりに夕焼けになった。最後に撮ったのは09年10月12日の寺尾海岸だった。そのときのメモでは、やはり赤色光が薄いため夕焼けが全面に広がらなかったと書いてあったが、半年たった今も同じ状態だった。さらに完璧な凪になり、波の風景すらも撮影できなかった。しかし、波も風も沈静した海は、時計を止めたような静寂した空気が漂っていた。空を見上げると二機の飛行機雲が大きな「×」のように映ったが、朝鮮半島での諍いがあったことにより、自衛隊の哨戒機が偵察してい様を想像できた。穏やかな静けさに一瞬、不協和音が流れた後の余韻を感じた。

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100509 弥彦村

西蒲原郡弥彦村については去年、市と合併する必要がないほど活気にわいていると書いた。この弥彦山は標高634mなので、頂上から平野部をほぼカバーしている関係上、地上デジタル&アナログテレビ放送とFMラジオ放送の中継所としている。そのことをぼんやり考えると、同じいくつかの課題が浮かび上がった。栗本真一郎が書いている「パンツを捨てるサル」ではウィルス人間進化説を説いており、そのなかで縄文人が山頂から大きな鏡で通信していたと書いてあった(はず)。また、NHK「タイムスクープハンター」でも、江戸後期で商人が米価格をいち早く伝えるために、各山で「旗振り通信」をしていたと証言している。さらに、もともと神社にある三種の神器には鏡が必ずあり、それにより何らかの通信装置として考えていたものなのか。どちらにしても人間同士の交流心か、神への信仰心なのかは別として、何らかの通信技術として変化していった面白さがある。今度は神社の神主に取材して、三種の神器の鏡が何のためにあるのか聞いてみたいと思った。

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100502 福島潟

自然の宝庫・福島潟は新潟市の東方(北区)に位置する湖沼で、幾重にも小島が並ぶ原風景により、幻想的な空間を醸し出している。天然記念物のオオヒシクイを筆頭に220種以上の渡り鳥が飛来し、全国的にも希少になりつつある水生植物オニバスなどをはじめ、450種類の植物が確認されている。ビュー福島潟(1997年〜)の名誉館長として初代・三枝成彰から片岡鶴太郎、加藤登紀子など、多くの有名人が登場し、名誉館長として重きを置くイベントを毎回開催している。そして、2009年では作家・椎名誠が登場し話題になっている。私も初期の「さらば国分寺書店のオババ」などを読んだのだが、今思い出すととても懐かしい気がする。そして名誉館長としてのメインイベントでは、なんと漁師の遊びをヒントに考案した「浮き球 三角ベース」を開催。年齢や性別を問わず楽しめるスポーツを、国指定福島潟鳥獣保護区で繰り広げるのは圧巻だ。

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100424 鳥屋野潟

毎年、桜前線を気にすれば花見は大丈夫だったが、今年は近い地域でも満開の時期がまちまちになった。何回も言っている、気候の異常現象により、植物の体内のアドレナリンが行き場をなくし、いっせいに咲く気力がなえてしまった。まあ、色んなところの花見を楽しむことができ、人々にとってはお得な気分を味わえる。今日は鳥屋野潟に自転車で出向き、私にとって毎年の撮影行事として執り行った。家族がのんびり日中ぼっこしたり、群生する植物の花を眺めたり、新芽の芝生で駆けっこしたり・・・しかし大勢で宴会する花見はまったくなかった。花見モードが分散されたことにより、宴会の楽しみもなえたような気がする。

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100421 村松公園

五泉市の村松公園は明治39年に日露戦役記念として造られ、春の桜、秋の紅葉はもちろん、四季折々のツツジ、牡丹、アジサイなどが咲き誇り、花の公園として知られている。今日の桜の中でも遅咲きな八重桜は、情熱的な紅色を放つ姿が印象的だった。この旧・村松町では城下町として栄えてきており、農業や繊維産業が盛んだった。大正末期から五泉と加茂をつなぐ蒲原鉄道が活躍していたが、しかし乗用車の数が際立ったことにより、時代の波に逆らえず10年前に廃止になった。ローカルに住む家族では、子供が高校を卒業したら免許を取り、軽自動車をプレゼントするのが常だと聞く。免許を持たない私にとって、旧・蒲鉄のホームと電車展示を見ると、何か虚しい気持ちを抱かせた。

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100419 内野小学校

毎年桜が満開になる時期には、程近い内野小学校に出かけて写真を撮っている。明治6年から続いている小学校は、巨木になった桜を維持するには、何本もの柱で支えないといけないそうで、逆に伝統が詰まっている重さをひしひし感じる。内野のエリアは、イカやタコは盛んな漁港から田圃が広がる平野を背景に、JR駅の中心地では醤油や味噌、日本酒の老舗工場があり、昔から営んできている伝統を垣間見る。しかし、外部の人が風情がある街だと、簡単に引っ越ししたいと考えても、城下町のような伝統があることにより、はじめて暮らす人には勇気が必要だと思う。

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100418 大河津分水

毎年桜が満開になる時期には、程近い内野小学校に出かけて写真を撮っている。明治6年から続いている小学校は、巨木になった桜を維持するには、何本もの柱で支えないといけないそうで、逆に伝統が詰まっている重さをひしひし感じる。内野のエリアは、イカやタコは盛んな漁港から田圃が広がる平野を背景に、JR駅の中心地では醤油や味噌、日本酒の老舗工場があり、昔から営んできている伝統を垣間見る。しかし、外部の人が風情がある街だと、簡単に引っ越ししたいと考えても、城下町のような伝統があることにより、はじめて暮らす人には勇気が必要だと思う。

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100410 加茂山公園

新潟県の中央に位置し北越の小京都と呼ばれる加茂市では、駅から加茂川へと進み加茂山公園をメインに散策した。もともと加茂は桐たんすが有名で、姉が嫁いだときにはここのたんすを持たせたそうだ。そんなことしか知らず単純な田舎町だと思っていたが、しかし加茂は戦国時代には上杉謙信の傘下になっていたことにより、城下町的な風情が醸し出されたようだった。そして何よりも湧き水が豊富で、今でも森林や田んぼ、井戸水が潤っていることにより、動植物のDNAに刻み込まれたことが原因かもしれない。加茂山公園は昔からの風土が色濃く映っており、私が知っているなかでも最もすぐれた公園だと思う。

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100329 信濃川

久々に春の青空が見えるようになり、今日はやらなくてはならない仕事があったが、写真を撮りたい気持ちが勝ってしまった。自分にとって定番というか、買い物ついでに写真を撮っていた散歩コースを選んだ。まだまだ寒いけれど、すがすがし気分を覚え、ようやく鬱屈した冬の生活に芽吹きを与えてもらったことを感謝したい。川面にカモが数羽浮かび、半分眠った心地よさそうを感じた。しかし、たった1時間半経つと雲行きが悪くなったので退散するしか道はなかった・・・コーヒーでも飲んで帰ろうと思ったそのとき、かなりまとまった雪がなだれ込んできた。もう4月になる季節なのに、いったいどうつもりか誰か教えて欲しかった。

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100316 港区六本木

昨日は久しぶりに東京出張となり、どうせならと一泊して観光しようと決めた。今日は昼で20℃まで上がり、平年の4月下旬か5月上旬ぐらいの天気になった。もともと六本木では仕事がらみか、隠れ家的な飲み屋に出かけるぐらいだったが、六本木ヒルズや東京ミッドタウンなどが立て続けにオープンしたことにより、田舎ものとして見物したい気持ちが駆られてしまった。特に森ビルの屋上展望台が一般に開放されたことにより、東京タワー特別展望台よりも高く、さらに風を感じながら眺めることができた。次の出張がいつになるか分からないが、今度は日が暮れる時間に訪れて、夕焼けと夜の風景を撮りたいと思った。しかし六本木が好きだった人には、様変わりしたことが正解だったかどうかは分からないが。


※ 東京ミッドタウン
※ 森ビル展望台

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NY of 1981 ニューヨークの旅

1981年22才、ニューヨークに旅行したときの写真が久しぶりに見つかった。そして、7月から10月まで、3ヶ月以上滞在していたことを思い出だした。今よりもドルは倍以上高かったが、しかしハンバーガーをほおばりながら毎日のように散歩を楽しんでいた。30年前なのではっきり思い出せないが、おそらく縦の一番街から十番街や横のストリートもくまなく歩きまわったはずだ。ダウンタウンの安ホテルに数日間泊まったり、転々と友達のアパートに転がり込んだり、最終的にはブルックリンで暮らしていた。そのときでは毎日地下鉄でワシントン・スクエアまで大学生のように乗車し、そこを起点にマンハッタンを歩きまわっていた。そして、コダック・フィルム16mmを格納できる最も小さいカメラを携え、日本から持ち込んだフィルム2本を大事に使っていた。昔では高価なフィルムでもあり、大切な友達をスナップしたり、好きな風景を撮ったりしていたようだった。その写真をつくづく見ると、世界貿易センタービル一対のぼけた写真が一番好きになった。そして双方崩壊されてしまったツインタワーにしばし黙祷。
このときパティー・スミスやジョン・ライドンの音楽が好きで、写真付きのハガキを買ってきてスケッチしていた。もちろん天気が良い日には、日向ぼっこしながら風景をスケッチしたこともあった。なつかしい。


※ NY of 1981 古い写真
※ NY of 1981 スケッチ

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100207 鳥屋野潟の雪

高校生のとき、豪雪の日に自転車で登校したことを思い出した。30年以上前の記憶になるが、普通40分かかっていたはずで、その日は2時間以上かかったと思う。今みたいに車が普及していなかったので、自転車がまっすぐ走ることだけ気をつけていた。右に曲がったりすると、雪にとられてドリフトみたいに傾いて、それを巡航速度まで戻すのが大変・・・結局3限目の途中で校舎にようやくたどり着いたわけだった。だるま(石炭)ストーブの囲いにアノラックとスキーズボンを掛けて席に着いたとき、先生はにこにこしながら「お疲れさま」と言っていたような気がする。このとき陸上部を止め、本を読み始めた時期で、自分のためにいろいろチャレンジし始めたときだった。この鳥屋野潟は高校から自転車で行ける場所だが、昔ラブホテルが乱立しており、子供は行ってはいけないエリアだった。今は県立公園やサッカー場などの整備により、市民が憩える場所に変身した。しかし、今日は雪が積もりすぎて公園散歩コースが隠れてしまい残念だった。

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100205 寺尾海岸の雪

昨日深夜に積もった雪が46cm、最深積雪量が81mになり、新潟地方気象庁によると26年ぶりの豪雪記録と並んだ。何度も言うのが異常気象により季節が乱高下している昨今・・・まさか、フロンガスにより赤道のオゾン層が破壊され、地表に有害な紫外線が増えていることにより、何らかの磁場曲線が不安定になってしまったのではないか。そして今回も妄想だが、地球の大円角度がほんのちょっと内向きに傾き、新潟がNYや青森と同じぐらい寒い場所になったのでは。今日の雪はさらさら乾いたパウダースノーだったのだが、一回だけだが札幌の雪を思い出した。歩くとすぐに転んだが、雪がなめらかなクッションとなり、痛いどころか逆に楽しさに変わった。ひさしぶりに札幌に行きたくなった。

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100101 白山神社元旦

慌ただしく過ぎた年末だったが、この元旦には毎年神社で去年のお守りを燃す浄火を楽しみにしていた。私にとって1年間の記憶の垢を浄火で清めることにより、今年の成就を祈る儀式として定着していた。しかし、今日は強風により電車が数時間止まったりして、ようやく初詣する白山神社にたどり着いたそのとき、お守りを浄火する無料コーナーでは炎がまったくあがっていなかった。警備員に聞いたら、気象庁からの浄火御法度の伝令が届いているとのこと。今までこんなに寂しい初詣があったのだろうか。とぼとぼ家に戻ってニュースをぼんやり眺めていたら、白山神社の初詣に参拝した人数が、今までより半分以下になってしまったと言っていた。まさか浄火せずに土葬されたお守りの一年の垢が、バクテリアのようにあまたなる怨念が増殖され、亜空間からゾンビのように発現されてしまう・・・妄想するこんな夜は寂しく寝るしかない。

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100101 平成22年カレンダー

Photo-hatrixでは撮りためた写真をセレクトし、毎年葉書サイズのカレンダーを作成している。去年春から写真に動画が追加され、撮影自体がおそろしい状態になり、倍以上の労力を使った。しかし、出来上がった作品は2乗以上の出来映えとなった(おそらく)。今年は去年よりも、もっともっとすばらしい心象風景を記録したいと思っている。


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